Oracle36000/天啓、トールより

02


 ゲストルームはサンルーム並に窓が大きくて、朝日の強さにエイリークは午前6時を待たずに起きてしまった。
 経由してきたドバイの完璧なドーム型天候調整システムに比べると、シンガポールはまだ自然と調和する気概があるようだ。この家だって、ガラスは日差しを通すし、完全断熱になっていない。
 過去数世紀に渡り建築業界の実験的都市であり続けるこの国の、それでも東南アジアらしい太陽の力を感じられる自然との付き合い方が好ましい。
 そう考えながら起き上がり、顔を洗おうとバスルームへ向かった。
 洗面台の位置は、長身のエイリークからすると少し低い。大抵の国でそうだったから、特に気にせず使った。
 顔を拭いて鏡を見つめる。
 ――……つくづく、日光に弱い色をしている
 くすんだ金色の髪も、青灰色の目も、この土地に向いた色ではない。
 もっと彼のように、陽光を柔らかく受けとめる色素が欲しかった、と思う。
 外国を知るまで、エイリークは己の外見的特徴について深く考えたことがなかった。
 生まれ育った土地の者は彼と同じようなカラーリングだったし、その特性を詳しく調べたりもしなかった。己の遺伝子に、不満は何もなかったのだ。
「おはよ」
 ぼんやりと考えていて、後ろに彼が立っていることに気がつかなかった。
「ああ、おはよう」
 鏡にうつる七朗に声をかけた。
「早起きだな、眠れたか?」
 バスルームは共用だと言われたのを思い出し、エイリークは鏡の前から身体をどかした。
 サンキュ、と小さく礼を言って、七朗が顔を洗う。
「朝日が眩しくて。でも、よく眠れたよ」
「そか。ロールカーテン厚いのにしておけばよかったな」
「気にしないでくれ。日光は好きなんだ」
 母国の日照時間は、この地に比べて遙かに少ない。その分、太陽光には憧れがあるのだ。
「……日焼けには気をつけろよ」
 七朗はエイリークの顔をじっと見た後、あまり信じていないような顔をして言った。
 スキントニックを手に取る様子を見て、案外そういうケアをするんだな、などと思っていると、
「……何?」と怪訝そうな声を出された。
「何でもない」
 首を横に振って、エイリークはゲストルームに戻った。ドアを閉めたが、鍵をかけられなかったことにほっとする。


 ――まだ、笑顔を見ていない


 期待をしていた訳ではないが、どうやら思った以上に自分は歓迎されていないようだった。
 脳内にいくつか用意していたシナリオの、悪い方を思い浮かべる。
 決めつけるのはまだ早いだろう。
 そう思っていても、最悪のケースだけはいつでも考えておかないと気が済まなかった。自分の性格であまり好きじゃない部分だが、これが仕事をする上では長所になる。色々とままならない。
 
 自分のメイティング相手が男性で、しかもアジア人であったことに、不思議と驚きはなかった。
 そもそもあの時の自分は、例え次の日世界が滅ぶと言われても、大きなショックを受けることはなかっただろうと思う。
 『喪失』の傷がまだ癒えていなかった20歳の冬、彼女以外のものに感情を揺さぶられることなどなかったから。
 トール――人類が名づけたとはいえ、戦の神の名を冠する地球外生命体が誂えた、交配という選択肢。まるでこのショックから無理やりにでも立ち上がれと圧力が掛かっているように感じながら、メイティング相手の情報を確認したのを覚えている。
 ――無理に好きになる必要も、何なら、交配だって
 したくないなら拒否できる。そういうシステムだ。
 人種差別の精神は無かったが、アジア人との接触もそれまでの人生で殆ど経験が無かった。
 見知らぬ人種との、強制でもない行為。
 だから、どこか他人ごとのように感じていた。
 流し読みしていた情報の中で、彼に関する動画も、何気ない気持ちで再生した。

 ――それが、僕にどんな感情をもたらしてくれたのか
 言うべきかどうか、エイリークはまだ決めかねている。
 


「サングラス、忘れるなよ」と念を押されて出た外は、薄曇りとはいえ朝の光に四方八方がキラキラしていた。
「これでも今年は涼しい方だな」
 先を歩く七朗の輪郭が眩しくて、エイリークはサングラスの設定をUV完全カットレベルにまで引き上げる。
 名物のカヤ・トーストを食べさせてやると言って七朗が連れてきたのは、家から歩いて十分程のところにある、いかにもな老舗の雰囲気を漂わせたカフェだった。
 軒先にはいつ造られたのかも解らない銀色の椅子と丸いテーブルが置いてある。
 店頭のウィンドウの隅には、変色した『FREE Wi‐Fi』のシールが貼られていた。前時代からの店構えという証拠だ。
 日進月歩のこの都市にも、変わらないものも多くあるということがなんだか嬉しい。
 店に入ると、焼けたパンと、南国のフルーツの匂いが鼻先をくすぐった。
「カヤ、はココナッツのジャムかな?」
 席につきながら、心当たりのある香りを頼りに訊ねる。
「惜しい。それだけじゃあない」
 七朗が慣れた感じで店主に挨拶をしただけで、何も注文していないのに食事が運ばれてきた。どうやら、朝のメニューは一種類だけらしい。
 ミルクか何かが入ったホットコーヒーのカップ。厚切りのトーストの脇には、バターの塊と薄い緑色をしたジャムのようなペースト。小皿にはソフトボイルドエッグがあけられており、「ダメなら俺にくれ」と、七朗が配慮の声を出した。
「いや、生じゃなければ平気だよ」
「なら良かった。調味料がこれな。醤油とか塩」
「ありがとう」
「ん。じゃイタダキマス」
 食事の前に手を合わせる七朗と、聞いたことの無い単語、これは何かの慣習か宗教の言葉だろうか。
 つられて手の平を合わせると、それを向かいで見ていた七朗が、小さく笑った。
 ――あ
 初めて笑顔らしい笑顔を見た、と気がつくと同時に、胸のあたりがぎゅっとなる。
「ハーブか何かで色がついてるのかな」
 誤魔化す様にジャムの事を訪ねると、七朗は頷いた。豪快にちぎったパンにバターとジャムを塗りながら、ハーブはパンダンリーフと言うのだと教えてくれる。
 彼の食べ方を見て、自分も同じようにトーストを頬張る。
 軽く焼かれたパンは自国のそれに比べて柔らかく、まるで菓子を食べているような食感だ。
「美味しい」
「良かった」
 甘いトーストに、甘いコーヒー。
 熱をすぐに力に変え活動するにはうってつけのメニューだ。エイリークの故郷でも、大概朝食は炭水化物と甘いものがセットになっている。暑い国でも寒い国でも、朝食というものの考え方は似ているのかもしれない。



「それでさ、」

 トーストと卵を平らげた後、おもむろに七朗は話を切り出した。
「ああ」
 言いたい事はお互い色々ある。だが、まずは七朗の話を聞こうとエイリークは決めていた。
「……気を、悪くしたら申し訳ないんだけど」
 手に持っていたコーヒーカップを置いて、無言で先を促す。
 カップの中身は、お互いまだ半分くらい残っている。これが空になるまでに、話は終わるだろうか。

「そもそも、何で俺たちは子孫を残さなければならないんだと思う?」

 投げかけられたのが哲学的、あるいは生物学的問いだったことに、エイリークはどこか安心した。
 ――『二人のメイティングをどうにかして回避したい』とか、『お前とは子孫を残せそうにない』とかだったら
 そういった告白だったら、どうしようかと思っていた。
「……僕ら、というのは、メイティングを課せられた人達の話だね」
 彼の言葉の意図を確認する。七朗は頷いた。
 年によって偏りはあるが、トールによるメイティングの天啓の範囲は世界中に広がり、かなりのペアが受けるらしい。
 だが、その内実際に交配したのは数百から千程度に留まる。
 理由として挙げられるのは、主に次の三点らしい。
 ① 指名された時には既にパートナーがいる
 ② 宗教上の理由
 ③ 互いのコミュニケーションの問題
 メイティングシステムを総括するトール・メイティング・ケア協会は、メイティングを拒否する人間に対して何か罰則を設けている訳でもなければ、理由を深く追究したりもしない。ただ、一定期間に交配、あるいは遺伝子提供が確認されなければ、全ての優遇措置を取り消すだけだ。
 トールと対話することが出来ない以上、この成功率がかの地球外生命体の中で許諾範囲内なのかどうかも解らない状況である。
 ただ、あの熱病と恐慌を再現させたくない。
 その思いを持つ人達が、協会に協力的だった。

 ――彼は、どうしたいと思っているのか

 質問を被せても良かったが、それはこの話題から外れるなと思いエイリークは言葉を選んだ。
「……簡単な可能性から話していこう。まず、僕らが天啓を拒んだら、怒ったトールが人類を滅亡させるかもしれない」
 一般的に一番恐れられていることから話すことにする。
 既にパートナーが居る状態でメイティング対象になってしまった場合でも、トールに背くのが恐ろしいと、精子等の遺伝子情報を提供する者もいる。
「トールが怒ったことなんて、そもそも無いけどな。今までだって――メイティングだけじゃない、他の天啓だって、俺たちがあいつに背いてきた前例はある」
 七朗は、エイリークが思っていた以上に冷静で、客観的な人間のようだった。
 アジア人、いや、日本人とはそういう人種なのだろうか。無宗教も多いと聞く。
 それとも、両親がトールの研究者であるバックグラウンドから、彼はここまで理論的な話をするのだろうか。
「その前例も、大抵が人類の技術力不足によるものじゃないかな。少なくとも、倫理観や感情論で上手く進んでいないのはメイティング位だと思うよ」
 トールは人類に進化を促すと言われているが、その実オーバーテクノロジーを要求してきた過去がある。
 それについては七朗も理解しているようだった。
「人類ができない子ちゃんだってのが解ると、あいつはやり方を変える。段階を経て、結局あいつが求める方向に舵を取らされてきた。だから、今倫理観で駄目だって言うなら、その内そんな事言ってられないような状況に、俺らを陥れる可能性もある」
 ここで溜息。
 エイリークの言葉を待たず、言葉を続ける。
「って考えると、別に俺達を滅亡させようとは思っていないってことじゃないのか」
 七朗は、コーヒーカップを手に取った。こちらのターンになったのだろう。
「……つまり、僕ら二人がトールに従わなくても、人類は滅亡しない、そう思ってる訳だね」
 向かいの彼は頷いた。
 ――つまり、僕と交配したくない、と言うことか
 早計かもしれない。けれど、ここまで言われて『けれども二人で子供を作ろう』という発想にはならないだろう。
 エイリークは足を組み、膝の上で手を組み置いた。
 冷静に、話を進めたい。
「けど、君はメイティング二世だ。二世が交配を拒否したことは無いんじゃなかったかな」
 七朗の整った眉がぴくりと動いた。
「……よく調べてるな」
 脅しのつもりか、と言われて、エイリークは首を横に振った。確かに少し意地の悪い言い方をしたが、例え脅迫して交配しても、生まれる子供がかわいそうなだけだ。
「つまり君は、トールに従いたくないんだね」
「従うだけの理由がお前にはあるのかと聞きたい」
 七朗はやや早口で言って、コーヒーを一口飲んだ。
 トールに従いたくはない。
 その気持ちは解る。
 特に彼の両親はメイティングで一緒になり、子供を授かっている。こうした子供をエイリアン・チルドレンと差別する集団は世界中に一定数おり、もしかしたら彼もそういう被害に遭ったことがあるのかもしれない。
「……君がどんな論文を読んで今日まで生きてきたのか解らないけれど、僕は、ユマ・エヴァンスの論を信じていてね」
 彼の過去に憶測で同情しないように、エイリークは喋り始めた。
「観測所の所長? 論文なんて発表する暇があるんだな」
 自身の父親・獅子島基一だって毎年もの凄い量の報告をあげているのに、まるで棚にあげたような物言いをする。実際興味がないのかもしれない。
 観測所の分析がなければ自分たちがメイティングされることもなかったのだと思えば、そこにも憎らしい気持ちがあるのかもしれなかった。
「彼女の論はこうだ――トールは僕たち人類を、理想の生物に仕立て上げようとしている」
「ああ、それなら知ってる。理想って何だよ、食うのかって話だよな」
 どうやらさっきの彼の言葉は皮肉のようだった。彼も、自分と同様、それなりに論文を読んでいるのだろう。
「そうかもしれない、けど、今の所トールが人間や、地球の有機生物を捕食した例はない」
「例、例、例。結局、何が起きてもおかしくはないってことの裏返しにしか聞こえねえな」
 七朗は足を投げ出した。
 ハーフパンツの裾から伸びた膝下が、エイリークの足と触れそうになっている。
「結局はそうだろうね。何が起きても、おかしくは無い」
「……食われるために子孫を残すのか、俺たちは」
 それじゃあココナッツと変わらない。七朗はコーヒーの残りを煽って、苦い顔をした。

「――七朗は、子供が欲しくないのか」
 やっと、七朗自身への問いを口にできた。

 ノルウェーは自然生殖で人口を保てる割合の高い、世界的に見ても希有な国だった。
 それ故にエイリークは、自分が両親の元に産まれ育てられたのと同様に、家族をつくり、子供を成すことが当り前だという前世紀的な思想で生きてきた。
 それがどれだけ変わった思想なのかということを、天啓を切欠に理解したつもりだった。
 天啓がなかったら、きっと自分はただの運の良い地域に生まれた建築家で終わっていた。このような選民思想は危険だが、自分の希少性を理解することは重要なことだった。
 目の前の七朗だってそれは同じはずだった。
 彼はただのプロ・スケーターではない。災害を乗り越え、トールに正しくアプローチすることのできる、堅実で筋の良い、善良な遺伝子の持ち主だ。
 エイリークと七朗は、子を成せない人間が多い中、子を成すことができるのに、それをしない理由とはむしろ何だと言うのだろう。
「俺個人の話に持って行くなよ――こうして、人口がゆるゆると減少していくのなら、トール関係なく、それが種としてのあるべき姿なんじゃないかって思うんだよ、俺は」
 家畜のように、監視者に進化を強要されてまで生きていたくない。そういう思いがあるように見える。エイリークは、心が落ち込んでいくのを感じた。
 ――あるべき姿
 それは、一体何を目指しているのだろうか。
 前世紀以前の、異性間での生殖の事を指しているのだろうか。同性間では子供を作らず、女性の生殖不能が完治するまで人口は減少の一途をたどっていくわけだが、それで構わないと思っているということか。
「……もし君の言うようにトールに従うことを止め、それをトールがすぐには咎めなかったとする。そうしてトールを無視した所で、共通の敵を忘れた僕達人類はまた争い合うようになるんじゃないか――僕はそう思う」
 トールが善か悪か、その答えは個人により異なるだろう。だが少なくとも今、人類は多くの問題を抱えながらも、トールという存在のおかげで、朝、穏やかにコーヒーを飲む生活を続けられている。
「大戦がはじまるって言いたいのか」
 核兵器やEMP、バイオテロと言った大規模攻撃の類は、エイリアンが現れてから行われなくなった。昔どこかの国が宇宙へミサイルを打ち込んで、それが綺麗に跳ねかえってから、誰もトールに面と向かって逆らおうとはしていない。
「トールは今、平和すらコントロールしている。戦の神の名を冠しているのに、皮肉なことだけど」
 以前、小国同士が小さな諍いを起こしているのは変わらない。幸い、大きな戦争には至っていないというだけで。
 大国勢は、トールをいかに自分の味方につけるかに躍起になったままで、いたずらに他国を刺激したり、軍需景気に沸くような政策は打ち出していなかった。
「……平和な畑ですくすくと育った人類を、トールがただ慈しんで終わりだとは俺は思わない」
「そうだね」
「理想の生き物か……じゃあ、さしずめ俺はその進化の過程にあるってことだな」
 スーパーマンになったつもりはないけど。そう自嘲する七朗の身体は、実際一般的なアジア人男性の体躯から外れていない。エイリークに比べて十センチ近く低い背丈、黒い髪に、健康的に日に焼けた肌。目の色は焦げ茶色で、至って平均的だ。
 左目の端に並ぶ二つのホクロが、黒い睫毛の先にあって印象的だった。
「そうかもしれない。……でも、」
 意志の強さをものがたるような彼の黒い眉が、エイリークの言葉一つで形を変える。そんな険しい表情をさせたい訳ではないのに。
 ――君を喜ばせたいのに、喜ぶようなことを言ってあげられない
 けれども、この件に関しては譲れなかった。
「最終的にトールに食べられてしまうのだとして、その結末を変えられるかもしれない僕らの子孫を、積極的に減らすことには反対だよ」
 自分達が生きている間に、エイリアンの真意が判明するかもしれない。もしそれが人類の不幸を招くものならば、阻止しなければならないだろう。
 例え阻止に成功し、トールが居なくなったとして、平和を新たに築く為に、アダムとイブだけでは心許無さ過ぎる。
 ならば、子孫を残せるものは、残した方が良いに決まっているのだ。その為に我々の技術の進歩はある。エイリークはそう考えていた。
「なら、お前は勝手に誰かと子供をつくればいい」
 七朗の答えは簡潔だった。
 子供だけが目的ならば、わざわざメイティング相手と交配する必要はない。
 メイティング相手と子を成すということは、つまりトールに従うということだ。それに対抗するための人口が必要だと考えているならば、メイティング相手以外と交配した方が安全ではないだろうか。
「勝手に――か」
 覚悟していた言葉とはいえ、思った以上にショックを受けるものだな、とエイリークは眉根を寄せた。
「……出るか」
 段々と混みあってきた店内をちらと見て、七朗は立ち上がった。
 むしろここからが本題だと思っていたが仕方がない。エイリークも続いて立ち上がり、店を後にした。


 
 ――メイティングで生まれた子供達は、トールによって遺伝子改良を施されている

 まことしやかに流れる噂だ。エイリークも聞いたことがある。
 静止軌道上に居る地球外生命体が、どうやって人類の遺伝子情報を得ているのか。過去猛威をふるった情報ウイルスが媒介となって、電子機器を触っているだけで自然とあらゆる情報がトールへ届けられていると言われているが、それも定かではない。
 兎に角、未だに解らないことだらけで、だからこそあのエイリアンは未だに神の名を冠している。

「観光でもするか」という七朗の申し出に頷いて、二人は一度家に戻ってからまた外に出た。
 昨夜同様のんびり歩きたいというエイリークのリクエストを受け入れてくれた七朗は、ボードを小脇に抱えてちょっと先を歩いている。
 その後頭部からうなじのラインの清々しさに目を細めた。

 ――どうしてこんなに優しいのだろうか

 勝手に子供を作ればいい、と彼は言った。
 つまり、自分とは子供を作らないということだ。
 メイティングを拒否したい、自分とは家族にはならない。
 エイリークは拒まれたのだ。
 けれど、彼は帰れとは言わなかった。
 それどころか、まだこうして一緒に歩いてくれている。
 歩いているだけで汗をかくような南国の街は、朝からまた気温が上がったようだった。けれども彼の周りには涼しそうな風が吹いているようで、髪の毛がそよそよと揺れている。
 シンガポール川を渡る歩行者専用の橋は、建築雑誌でも紹介されたことのあるスポットだったが、彼がそこを敢えて選んでくれたのか、それとも単なる偶然かは解らなかった。

「……子供が欲しいから、会いにきたのか」
 橋の上は風が強めに吹いているが、七朗の声は静かに響いた。
 そのトーンに、非難も申し訳なさも感じられない。
「――君に会いたかった」
「……それだけじゃねえだろ」
 七朗は少しだけこちらを振り返り、口の端だけで小さく笑った。
 その表情に幾ばくかの寂しさを感じとったが、だからといって手を伸ばしたり、ましてや抱きしめたりなんてことはできなかった。
「……君と会って、色んな話がしたいと思った」
 ここに来る前に送ったメッセージから、主目的に変わりはない。
「今まで、そんなことなかっただろ」
 メイティングが通知されて、オンラインで連絡を取り合ってから、今まで会いたいなんて言ったことはなかった。
「唐突なリクエストだった、それは認めるよ」
 橋の真ん中にあるベンチにボードをたてかけて、七朗は海の方を見ていた視線をエイリークに向けた。
「何か、あったのか」
 ――……彼は優しい
 エイリークは眉根を寄せた。サングラスをかけているから、自分の瞳が動揺していることには気付かれていないだろう。
「……言っても、信じてくれないよ、きっと」

 ――君に恋をしている
 淡い気持ちだったそれを自覚してから、どうしようもなく会いたくなった。
 こんな子供みたいな衝動を、君はきっと理解してくれないだろう。

「……まあ、メイティングを拒んだ相手に言う義理はないよな」
 七朗はそう言って、ボードに乗って対岸まで先に滑り降りて行った。
「……僕の事も拒んでくれたら、いっそ」
 口に出しただけで胸がちぎれそうになるのに、諦められるのだろうか。
 自問に反するように、エイリークは七朗を追った。






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