Oracle36000/天啓、トールより

03


 顔の良い男が、自分に優しくしてくれる。
 それだけで何となく優越感が得られるのだから、自分はなんてゲンキンなのだろうと思う。

 ――俺に優しくしたって、もう何もメリットはないっつうのに

 七朗は、エイリークとのメイティングをやんわりと拒否した。
 トールに従うべきか否か、まだ自分の中で答えが出ていない。そんな状態で彼と子供を作る約束なんてできる筈もなかった。
 ――ガキみてぇな感情論ってかんじですげえダサいけど
 やっぱり納得ができないことに関して、流されてしまうことの方が嫌だった。



「レオ、あれ仕事の人?」
 毎日のルーティンで軽く流しに来ているスケートパークで、馴染みのスケーターが話しかけてくる。
 親指で示している先には、ベンチに座ってこちらを見ているエイリークが居た。
「仕事……じゃあねえな」
 特にやることもないと言って七朗についてきたエイリークは、この辺じゃ少し目立つ見た目をしている。
「へー。だったら恋人?」
「……でもねえよ」
 どうしてそうなるんだよ、と眉根を寄せる。
「だって彼、めっちゃ熱心にお前の方みてるし」
 サングラスを掛けていても、顔がこちらを見ているのが解る。七朗がそっちを見ると、エイリークは手をふってきた。サービス精神が旺盛だ。
「……ただの俺のファンだよ」
「ふーん。ケツに気をつけろよ」
「うるせ」
 べし、と尻を叩かれてこっちも叩き返す。
 ――なんだよ、ケツって
 あいつは元々女と付き合っていて、子供が欲しいようなことを言っていたが、もしかしたら男とヤるなんてことは考えてないのかもしれない。性行為がなくても子供は作れる。金が掛かるだけで。
 エイリークの方をもう一度みて、見てろよ、と親指で自分をさす。
 ボードを踏み、その場で回転させるショービットを見せてからパークに入る。
 速度をそこそこに保ったままボードの上でしゃがんで、デッキのテール側を後ろ足で踏む。浮き上がった板がくるっと斜めに回っているのを確認しつつ立ち乗りに切り替えた。
「プレッシャーフリップ」と近くで見てる仲間がトリックの名前を口にする。トリックが綺麗に決まっている証拠だな、と気分良くウォーリーで低い傾斜を乗り越え、ぐるっとパークを回る。
 スピードに乗ってきているのを感じながら、高さのあるハンドレールの前でキックフリップしてボードを回しながら、バックサイドで滑り降りた。
 歓声を背中で受けとめながら、エイリークの前まで滑る。ガッと音を立てて目の前で止まろうとすると、ちょっとだけバランスを崩してしまった。
 ――やべ、カッコ悪
 こけそうになった肩に手を伸ばして支えてくれたのはエイリークだった。
「おっと」
「わ、……サンキュ」
 こういう時、つい礼を言ってしまう己の育ちの良さが憎い。
「どういたしまして。凄い格好良かった」
「……プロだからな、一応」
 至近距離でも、濃いサングラスの奥にある瞳は覗けない。七朗は感謝を告げるように腕をぱしぱしと叩いて、エイリークから離れた。
「間近で見たのは初めてだ」
 声が弾んでいるように聞こえる。どうやら本気で面白がってくれたらしい。
「あんた、こういうのやらなそうだもんな」
「スノーボードならできないこともないけど」
「クロスカントリーって感じ」
 雪国だけに、と地理的な印象だけで言うと、「得意だよ」とステレオタイプを地でいく答えが返ってきた。
 温暖化が叫ばれたり、かといえば氷河期の前触れかなどと疑われるような大雪に見舞われたり、ここ百年の天候不順は相変わらずだ。生態系もゆるやかに変わっているが、人々が行うスポーツの類に大きな特異点は現れなかった。唯一、汚染によりマリンスポーツが限定された位だろうか。
「スキーの経験は?」
「ガキん時にソリやったかな。あんま北の方行ってなくて」
 小さい頃は家族で色んな国に行った。親が出る学会等についていっただけなのだが、休暇とあわせてくれたので幼い頃の自分は旅行だと思い込んでいた。
「赤道から離れれば離れる程、トール関連の学会は少ないからね」
 エイリークも理由を悟ったらしく、肩を竦めた。

 ――だから、ノルウェージャンのこいつが
 トールの天啓を真に受けるなんて、思ってもみやしなかった。



 エイリークが七朗に好意を持っているというのは、初めの握手から感じていた。
 流石に、こうして丸一日近く一緒に居て、気がつかない程鈍感ではない。
 その好意の種類と度合いがまだ掴めずにいたが、『子供を持ちたい』という所がベースにあるのだろうと思っていた。
 ならば、子供を作る気が無いと素気無く言ってしまった以上、彼が七朗に執着するのはおかしい。
 ――気が変わるとでも思ってんのか
 そもそも、七朗じゃなければならない理由なんて、この北欧の男には無いんじゃないかと思う。


「シンガポールは基本的に外食文化だって聞いていたけど、本当なんだね」
 昼、ローカルな暮らしを知りたそうなエイリークをホーカーズと呼ばれる庶民のフードコートに連れて行った。国民はIDを照合できればタダ食いできるが、旅行者は電子決済が必要だ。
「シンガポール籍?」
 店先でIDが認識されているリストバンドをかざしていると、後ろから不思議そうに声があがった。
「ん? ああ、協会は日本人って書いてあんだっけ」
 七朗はまごうことなき日本人の血筋の持ち主だが、一度も日本の地を踏んだことがなかった。両親だってそうだ。行こうと思えば行けないことはないが、鎖国したふるさとは、一度海外に出てしまった国民に対しても外国人扱いする程厳しくなっていた。
「在シンガポール日本人、だったかな」
「ああ、それか」
 二十歳までは確かにそういうカテゴリだった。
 だが、今は立派にシンガポール国籍を持っているし、パスポートに変な証明書がくっついていることもない。この国で生まれ、基本的に英語と標準中国語を喋って生きている。他にも話者が多いマレー語やタミル語だって、日常会話程度なら難なくこなせた。
「じゃあ、五ヶ国語が話せるってことか」
「別に珍しくないだろ、お前だって英語話してる訳だし」
 そこにもういくつか足すだけのことだ。特に北欧のあたりは言語が近そうだから簡単だろう。
 そうじゃなくても、シンギュラリティ以降は自動翻訳のシステムが発達したので、世の中からは通訳という職業が絶滅危惧種になった位だ。
 自動翻訳のタイムラグがどうしても苦手で、だから七朗は自分の脳で言語を処理していた。
「人間がバベルの塔を再建しなくて良かったよ」
「建築家がそういう事いうんだな」
 英語で話せて良かったとでも言いたいのだろうか。
 野菜が足りていないと感じていたのか、エイリークのプレートには大盛りの野菜炒めと、チキンライスが乗っていた。七朗もチキンライスにしたが、向こうは蒸し鶏なのに対してこっちは揚げてある。
 いただきます、と呟いて食べ始めると、エイリークが首を傾げた。
「イタダキマス、は日本語?」
「そうだよ。そういや、朝真似してたな」
 あれかわいかった、と言うと、エイリークがぱち、と目を瞬かせた。
 ――何か変な事言ったか、俺
 かわいいと言ったのが良くなかったのだろうか。エイリークは室内に入ってからシャツの胸元にひっかけているサングラスの端をトントンと触る。明らかに動揺していた。
 どうやらこの大男は、かわいいと言われ慣れていないらしい。
「悪い、からかったつもりじゃねえよ」
「わかってる、わかってるよ。ただちょっと驚いただけで」
「そうか……」
 何だか変な雰囲気になってしまった。
 別の話題を探した方が良いだろうか、と思考を巡らせていたが、ややあって向かいの席から「イタダキマス」と小さく聞こえて、思わず笑ってしまった。
「さっきより発音上手いよ」
「かわいいかな」
「いや、かわいいっつうか、何か」
 嬉しい、かな。
 そう付けたすと、エイリークは柔らかく笑った。
 ――ああ、これだ
 胸がざわざわする。
 付き合ってなんかいないのに、まるで恋人かのような表情を、彼は浮かべてくる。
 こんな表情を向けられると、どうしたらいいのか解らなくなってしまう。



 七朗は、自分のセクシュアリティがクエスチョンのままだ。
 誰に対しても、性的な興奮を抱いた事がない。
 恋愛感情は無いわけではないが、誰かと付き合いたいと思ったこともないし、独占欲というものが発生したこともない。
 幼馴染のライラも実は同じようなもので、お互いに感情を検証したり、性的な欲求について試してみたこともあった。
 けど、身体が反応することと恋はイコールではないのだと知っただけだった。
 周りからはライラと付き合っているのかと囃され、お互いそれが余計な面倒を避けられると知ってからは『そうだよ』と答えていた。
 少なくとも、本気で言い寄られた時以外は。


「僕らは、もっと普通のことを話した方が良い」
 その日の終わり、エイリークはそう提案した。
 二人きりでいると議論めいたことを話さなければならない、という気持ちになりがちな七朗は、その言葉にほっとした。
 と同時に、幾ばくかの疑問も浮かんでくる。
「……今ん所、俺の意見は言ってあるし、それが絆されて変わると思われたら――」
「心外だろう? 解っているよ。それでも、君ともう少し話がしたい。折角の機会だから、互いに理解できないまま終わりにしたくないんだ」
「相互理解、ってか」
 エイリークは頷いた。
 イデオロギーの異なる者のことを理解したい。言うは易いって奴だ。そもそも、こんなにデリケートな問題において、誰かと深く議論を交わすこと自体普通の人生では起こり得ない。
 でも、だからこそ、話したいときもある。
 自分の中の露悪趣味のようなものが、顔を出し始めているような気がした。
 トールに従いたくはない。
 だが、目の前の男が何故自分とのパートナーに選ばれたのか、その理由を見つけたい。
 ――あと、
 どうして、今、会いにきたのか。
 その為には今朝のような単なるディスカッションより、互いの基本的な思考を知ってからの方が得られるものが多いのではないだろうか。
「解った」と同意したことに、エイリークも安堵したようだった。
「勿論、出て行けと言われたら出て行くよ」
「泊まるとこないだろ」
「いざとなればゲストハウスとか、フロートアイルの方に向かってもいいし」
 シンガポールが自国の食料自給率を上げる為に設置した海上の人口浮島であれば、本島にくらべ移動は難しいが、その分泊まれる施設もある。
 ――俺もそれは知ってるけど、でもそこもある、なんて一度も言ってねえだろ
 うちに泊まることをどうしても避けたかったら、初めからそっちの選択肢を勧めていただろう。
 そう進言しなかった事について、目の前の男は七朗が『ただ優しいから』だと思っているのだろうか。
 ――別に、それで構わねえけど
「いいから、居ろよ」
 少し荒い語気になってしまったが、こちらが社交辞令で言ってる訳ではない事が伝わったのか、エイリークは「ありがとう」と笑った。


 ――エイリークには、ライラとは何にもないと言った
 単純に、相手に嘘をつきたくないという思いからだったが、本当に面倒を避けたかったら、ライラと付き合っていることにしてしまうのが一番楽だったはずだ。
 そうしていれば、彼はすんなりと身を引いてくれただろうか。
 今だって、何にも強要しようとはしない。
 ただ、会話をしようと言われただけだ。
 七朗は、それを許諾しただけ。
 異常なほどに紳士的で、こちらを尊重してくれる。そこに下心を感じる事は殆どなくて、感じたとしても気の所為だと言われたら、そうか、と納得できるし、無視できる程度のものだ。
 ――無視、してていいもんかどうかは別として
 指摘すれば、彼はそういう視線も投げかけなくなるのだろう。
 それを、自分は惜しいと思っているのだろうか? 


 
 それから、あっという間に二日が経った。
 あれ以降、明確な議論をしていない。
 ただ、六月のシンガポールでホテルが確保できないエイリークに宿を提供して、出来る範囲で一緒にいて、色々と普通の話をする。そんな日々だ。
 今日はシンガポール内の主要な建築物を見て回るという当初の滞在予定を、七朗は半分位付き合って、半分は自分の用事――練習だとか、スポンサーになってくれているスポーツブランド関連の仕事、メディアプラットフォームのアップデート等をすることにしていた。

 午後、リストバンドが微弱な刺激を伝えて、七朗はアラームが設定されていたことに気がついた。
 何の予定が入っていたんだっけとチェックすると、友人のショップのアニバーサリーイベントだった。
 スタートは夜七時からで、まだ数時間ある。
 ――行く、って言っちゃってたんだっけ
 思い出せない。仮でいれたままの予定が生き残っていただけのような気がする。
 予定をディグると、とりあえず出席にチェックを入れて返信してあったログが見つかった。多分顔だけ出してすぐ出ればいいかと思ったのだろう。エイリークの滞在予定もきっと忘れていたに違いない。
『ハイ』
 タイミングよく、ライラからのメッセージがきた。七朗はリストバンドのモードをオンラインにして、トークリクエストを送った。こういう時、生体端末の方が便利なんだろうなと思ったが、狭い世界で生きている自分には不要だろうと導入していない。
 通話切り替えのリクエストをライラは快く承諾してくれたようだった。
「よう、今日のイベント行く?」
『それ聞こうと思ってた。もちろん! ウチのケータリングつかって貰ってるし』
「そうなんだ、じゃあメシは期待できるな」
『サーバーも持ってくからビールもね。レオは彼と来る?』
 彼、とはエイリークのことだ。わざとらしい呼び方に眉根を寄せる。
「あ~~……予定聞いてない」
『暇だったら一緒に来てもらったらいいんじゃない? そしたらアイツも諦めるだろうし』
 脳裏で思い浮かべていたシルエットが、エイリークから別の男に切り替わる。眉間の皺は消えたが、代わりに首を傾げた。
「諦めるも何も。マックとはとっくに和解済みだって」
『どうだか。ちゃんと失恋させたげた方がいいよ』
「ご忠告どーも」
『どーいたしまして』
 それから今日着て行くものの話だとか、他の出席者の噂だとかして適当に通話を切り上げた。

 ――ちゃんと、失恋、ねえ


 
 エイリークに聞いたら、二つ返事でOKがきた。
 時間を決めて家で着替えて、一緒に出ることを決める。
 来月のトリエンナーレ用に持ってきていたらしいブルーグレイのカジュアルな七分袖ジャケットを羽織り、足首を見せたストレートの黒スラックス。エイリークの着こなしは一見してトラッドだったが、レーヨンの開襟シャツが淡いピンクの光沢を見せ、南国らしさを出していた。
「建築家って服のセンスも良いのかね」
「褒めてる? ありがとう。七朗も今日はカラーシャツだ」
「一応な」
「似合ってる」
「知ってる。あんがと」
 七朗はレモンイエローを基調としたバイカラーのボウリングシャツを、白のワイドパンツにゆるくインしている。キャメルカラーのベルトをして、今日行くショップのシューレースを付けたスニーカーを履いた。 
 こうして、最近では少なくなってきた拡張現実ではないリアルクローズを楽しめる国ということもあり、シンガポールのセール月間は伝統になっている。
 人口が多い国であればある程拡張現実は日常的に多用されており、服もそれを意識したシンプルなものになっていく。気に入った服のデザインをインストールして相手の拡張現実上で再現させるシステムもそれなりに面白く便利ではあったが、この国では流行の兆しすら見えない。恐らくノルウェーでもそうなのだろう。
「あ、そうだ。言っとくけど」
 ハイファッションがひしめくオーチャード・ブルバードの端の方に、二人が向かう店『Club 22-22』はあった。その店先で、七朗は一つ言い忘れてたことを思い出した。
「ん? メイティング相手だってことは言わないよ」
「そうじゃなくて、いや、それは頼むけど、――……店では俺のこと、レオって呼べよ」
 誰も自分のことを七朗なんて呼ばないし、呼んだところで『誰?』と言われるのは目に見えている。余計な話題作りは避けたかった。
「わかった」
 納得したようにエイリークは頷いた。ここで変な意地を張るような子供じゃなくてよかった、と七朗は小さく息を吐いて、改めて店に入った。

「レオ! 今日来たんだ」
「わ、レオだ、久し振り! こないだのアド見たよ」
「俺も、めっちゃかっこよかった」
 入ってレセプションにつくやいなや、知り合いが何人も話しかけてくる。適当にいなしながら祝いの花束を渡して、同行者一人の旨を告げる。
「え、彼氏?」
 ――絶対聞かれると思った
「違うよ。初めまして、『レオ』の友人のエイリークです」
 七朗が否定の言葉を発しようとする前に、エイリークが朗らかな挨拶をしてのけた。
 ――友人
 そう呼べる位、二人はこの数日で様々な話をした。
ここに来ている連中よりも、ずっと沢山話をしたような気がする。
 だから、『友人』と言われても違和感を覚える訳は無いのに、どうにも胸に小骨のような何かが刺さる。
「エイリークって、建築家のエイリーク・ランプランド? レオ、そんな人と友達だったんだ」
 ウェーブした黒髪をゆるくハーフバックにまとめた、中華系の男が近づいてきた。
「……マック」
 マックはこの店のオーナーで、今日のメインだ。
 建築家、と彼がすぐに言ったのは、細い金縁の丸眼鏡がウェアラブルになっていて、大方それで調べたのだろう。マックとはハイスクールからの付き合いだが、当時から人の素性をすぐに調べる奴だった。
「やあレオ、今日は来てくれてありがとう」
 指輪だらけの手がレオの背中に回る。
「アニバーサリーおめでとさん。主賓が入口に来ていいのかよ。人が溜まるだろ」
 軽いハグを返しながら文句を言うと、「良いんだよ~、今日の主役はオレだから」と悪気ない笑顔を浮かべられる。七朗より少しだけ背の高いマックの首筋からは、甘ったるい香水の匂いがした。
 マックが肩だけで羽織っている、ホワイトパールのキルティングジャケットの襟口を拳の裏で軽く叩いて、七朗は文句を続けた。
「お前がよくても俺は早くフロア行ってライラの料理が食べたいの。まだあるだろ?」
 七朗だけは、この城の王に文句を言っても笑顔で受け入れられる存在だった。マックは形ばかりの溜息を吐く。
「相変わらずライラにゾッコンだね。そちらの、えっとエイリークは彼女に会ったことある?」
「あるよ、素敵な女性だね」
 エイリークは、にこやかな社交術を絶やさずに対応している。そういう所が西洋人なんだよな、と七朗は内心で感心した。
「素敵――素敵だね、オレもそー思うよ。来てくれてアリガトね。VJイベもあるから楽しんでって」
「ありがとう。ハッピー・アニバーサリー」
 祝辞も貰い飽きているのか、マックは一辺倒な笑顔を貼り付けたままひらひらと手を振ってフロアの奥へ消えていった。ミラーボウルの輝きが背中を龍のウロコのようにギラギラと撫でて行く。
「全身真っ白かよ、あいつ」
 髪の毛と靴、それにジャケットの襟だけが黒いのを人ごみの中で確認して七朗は更に文句を重ねた。
「彼がオーナーなんだね」
 随分仲が良さそうだ、というエイリークに、肩を竦めてみせる。
「昔、口説かれて」
「えっ」
「断ったけど」
「そ、そう……」
 ――やっぱ言わなきゃ良かったかな
 隠してもライラあたりからバレそうだし、だったらと自分から言ってみたが、エイリークはあからさまに動揺した。
「お前だって二十七だろ、コクられたり口説いたりフッたりフラれたり、あんだろそう言うの」
 現に今だって、客の目の多くはエイリークに向けられている。
 部外者が珍しいと言うよりは、単純に見た目がいいからだろう。
「……いや、僕は」
「ウソつかなくても良いって」
「その、……本当にないんだ」
「は?」
 バーカウンターから今日のオリジナルカクテルを作って貰っていた七朗は、危うくグラスを受け取り損ねる所だった。
 ――ないって
「僕の出身地知ってるだろう? ノルウェーのトロムソは人口が少なくて……あと、僕そんなに格好良くないから」
 地元でもそんな風に言われた事がない、と困り顔をするエイリーク。
「いやいや、お前の出身地なんだよ、美男美女しか居ないのか」
「美男? そう思ってくれるのは嬉しいけど」
「……変な所で喜ぶよな、お前」
 トールが登場してからというもの、アメリカもロシアも自国最優先の政治をしていた。
 だからという訳でもないが、数百年前まで猛威をふるっていた白人至上主義的な考えは、今や倫理の教科書で学ぶ程度のものになっている。
 人の美醜のものさしというものも多様化が進んでおり、どちらかというと内面がいかに外見に表れているか、という点で評価される事が主流になっていた。
 そういう点で言えばエイリークは勿論及第点だが、色素の所為でアジア人よりも表情が解りにくいかもしれない。
「……レオが褒めてくれるのは、何でも嬉しいよ」
「……そうかよ」
 ――『友人』だけどな
 毒づくのは内心だけにしておいて、七朗はマックの今日の服装みたいに真っ白いカクテルで乾杯した。



『アニバーサリーだからこそ、真っ白な気持ちでリスタート&イヴォルヴしていきたいんだよね』
 ありきたりといっちゃありきたりな挨拶を受けて、フロアのゲストが盛り上がりを見せる。
 ヴァニティ・フェアってのはこういうのを言うんだ、と呟くと、エイリークが苦笑した。
「こういうパーティは、あんまり経験がない」
「だろうな」
 マックの挨拶の後、VJ(ヴィジュアル・ジョッキー)のショウが始まった。大音量のトラックを歪ませるエフェクトには、思わずといった具合に片耳を軽く抑えている。壁際なのにこれかよと笑うと、困った様な目配せが返ってきた。
 建築業界も色んなイベントがあるだろうが、こういう派手で若者向けのものはそうないだろう。
 以前、エイリークの手がけたロッジタイプホテルの建築を、拡張現実で体験したことがある。
 南国のヴィラとは異なるが、同じ位リラックスできる空間だと思った。柔らかな木のテクスチャと、洗練されたデザインの暖炉に、少しレトロな曲線を描くファニチャー。トラディショナルデザインをリスペクトしながら洗練させる手際は見事だった。
 そういう空間を作ってきた人間からすると、目の前のパーティは狂乱の宴に見えやしないだろうか。
 服のセレクト&オリジナルデザインショップのアニバーサリーイベントというよりは、まるでクラブのオールナイトイベントのようだった。VJの作る映像と音楽の渦に、良い感じに酒が入ったゲストが洒落た格好で揺れる。ウェアラブルや生体端末をオンにしている連中も多く、彼らの目にはこのフロアはまた違った景色に見えていることだろう。
「レオ、エイリーク! 二人ともまだ居たんだね」
「やあライラ」
「出るタイミングを探してたとこ」
 飯うまかったよ、と言うとライラは満足そうに七朗にハグをした。黒髪を高めの位置で結んでいる彼女の毛先は細かく編んである。パーティ仕様だ。
 昼過ぎに話してた通り、オーバーサイズのボーリングシャツを黒のスパンコールが覆ったハイウェストのタイトスカートと合わせている。瞳がVJのアクションに合わせてオレンジになったりグリーンになったりしているのは、彼女がコンタクトレンズタイプのウェアラブルをつけているからだ。
「レオ、こーゆーの苦手だしね。マックとは話した?」
「挨拶だけ」
 小さく肩を竦める。
「ってことは、エイリークとの仲のことは話してないんだ」
 図星、と七朗は頷いた。
「エイリーク。レオね、昔マックに――」
 話したよ、と言うと、ライラは驚いたように目を見開いた。その瞳にピンク色の星が散っている。
「じゃあ、トイレまで付いてったげた方がいいよ」
「何だよそれ」
 ライラの下世話なアドバイスにつっこんだが、エイリークは神妙な顔で「わかった」と頷いた。
 ――確かに、マックには口説かれてたけど
 だからといって、襲われたとか、何かおかしいもの飲まされたとか、そういうことはない。そもそもハイスクールで初めて知り合ってからマックが店を持つまで、何度となく口説かれてきていたが、本気さは感じてなかったし、あいつなりの悪ふざけなのだと思っていた。
 それを、いい加減ウザく感じてきて、いつだったか『メイティング相手がいるから』とその手の揶揄をやめるように言った。以来、マックとは普通に良い友人関係を築けている、と、思っている。
「ライラもさあ……」
 数少ない何でも言える幼馴染には、マックとのことは伝えていた。彼女なりに心配してくれているのだろうが、とはいえ、七朗も間抜けではない。
「あ、でもそれには及ばないみたい」
 人波をするすると抜けてくる白い人影を認識したのか、「私巻き込まれたくなーい」と言って、ライラはフロアの中心の方に流れて行った。
 入れちがいにやってきたマックは、片手にオリジナルカクテルの入ったグラスを持っている。
「レオ、沢山食べれた?」
 まだ入口でのことを引きずっているらしい。そういう所も昔から変わらないな、と思う。
「まあまあ。VJすげえな」
「オレのお気に入り。そ~言ってもらえると嬉しいなぁ」
 ニコニコと笑うマックの眼鏡には、さっきのライラの目のような変色は見られなかった。VJとのリンクを切っているのだ。
「……マック、あのさ」
「ん~? わかってるよ、そこの彼、メイティング相手なんでしょ」
 ゴツい指輪をハメているが元々は細い指を頬に伸ばしてくる。そんな風に彼が七朗を触ろうとしてきたのは久し振りで、嫌悪感より驚きの方が勝った。 
 揉め事は避けたい、という気持ちもあって、とりあえずされるがままにさせておく。
「……そうだ」
 エイリークの視線が痛い――気がする。
 ちらと視線をやると、普段が温厚な彼だからこそ見せる冷たい怒りのようなものが、マックの方に注がれていた。
「そんな怖い顔しないでよエイリーク先生。オレさぁ、レオの顔すんごい好きだから傷つけたりしないよ」
 中指にはめた獅子の頭を模した銀の指輪で、七朗の頬をつうっと撫でて手を離す。
「マック、俺ら、ただのダチだろ」
 七朗の言葉に、マックは眼鏡の奥の目を細めた。
「……それを、彼の前でワザワザ証明するために来たの?」
 流石のオレでも傷付くよ、とマックは片方の口角を歪めるように笑った。
「……ハッキリさせて無かった気がして」
「そ~だね、俺がいくら口説いても、レオからは『メイティング相手がいるから』としか言われてないし?」
 他のゲストに聞かれてないかと思ったが、皆VJの音楽と映像に酔いしれていて、会話が盗み聞きされる心配はなさそうだった。
「あれがガチだって思えるほどバカじゃねえよ」
「そう? ま、ライラと付き合ってるってゆー嘘つかれるよりはマシだったけど。でも、だからってそれが、諦めてくれってことだとは思ってなかったよ」
 ――フツー、諦めるだろ……
 そう思うのは、七朗がメイティングされてできた子供だからだ。心のどこかで、決められたものの方を優先すべきだという思いがあるのかもしれない。
「……俺は謝らねえよ」
「求めてないから、イイよ。……もーちょい強引にやっとけばよかったかなあ」
 ねえ、どう思う?
 マックに意見を求められる形になったエイリークは、冷たい視線を一瞬で柔らかいものに戻した。
 ぐい、と腰に手が回る。
「今日は、アニバーサリー・イベントだというのに君を傷つけるような形になってしまってすまないね。代わりにメイティング相手の僕から謝罪するよ」
「おい――」
 言いすぎだ、とジャケットの裾を引っ張ると、エイリークはまるでキスでもするかのように顔を寄せてきた。
「流石に、ちょっとイヤだな」
 耳元に小声で囁かれる。
 何が、なんて聞くまでも無くて七朗は閉口した。
「オレ、そんなしつこく口説いたつもりなかったんだけどね……」
 まさか、こんな風にフラれるなんて。と呟いて、顔に垂れた前髪を振り払うように頭を横に振る。
「マック」
 七朗は、腰に回ったエイリークの手を剥がした。
「不感症なレオを、オレがどーにかできちゃったらよかったのになぁ。――まぁイイや。お幸せにね」
 マックは最後に言いたい事を言ってスッキリしたのか、何事も無かったかのようにフロアに戻って行った。
「七朗……」
「――帰るぞ」
 これで、とりあえずやるべきことはやった。
 ライラのアドバイスのおかげで、より面倒な事ができてしまった気がしないでもない。
 だが、マックとの関係がはっきりしただけでもいい。そう思うしかなかった。



 店の前で無人タクシーを拾い、エイリークを押し込むようにして二人で乗りこむ。来る時はリニアを使ったが、駅まで歩くのも嫌だった。
 リストバンドをタクシーの端末にあてて、行き先をリンクさせる。料金が表示されるのを見て、「あぶく銭だな」と呟いた。公共交通機関の金額に比べれば高額だったが、ライラの店のクラフトビール一杯程度だと思えば安いものだ。
「……彼が居たから、今日僕を同行させた?」
「……」
 無人タクシーにはドライブレコードと共に客の動画データが残る。音声も拾われるが、処理しているのはAIだ。暗号化した上で行われるし、十分にプライバシーは確保されていると言って良い。
「沈黙は肯定だと受け取るよ」
「……そうだよ」
 勝手に解釈されるのも癪で、声に出して肯定した。
「僕が来るって解ってたから、あのイベントに行こうと思ったのかな」
 エイリークの訊き方は優しい。
「いや……お前がいてもいなくても、顔だけ出してすぐ帰ろうかなと思ってた」
 ライラ以外にも、友達が沢山くるイベントだ。特別な予定が無い限り行くのが普通だろう。
 隣で溜息が聞こえた。
「……彼は、まだ君が好きだったよ」
「……」
 ――そうだったのだろうか
 単に、ずっとフリーでいる七朗をからかっていただけではないのだろうか。マックは男女関係なくモテてたし、遊び相手も沢山いるのを知っている。
 車が曲がって、遠心力でエイリークの方に身体が寄った。体勢を立て直そうと思ったが、肩を寄せられて動きが止まる。
「……僕は、ちゃんと役割を果たせたかな」
 頭の上に、エイリークが頭を寄せる。頭蓋骨と頭蓋骨が、髪の毛を媒介にして触れてる感触。
「――役割とか、そんなのは求めてなかった」
 して欲しい事があったら、店に入る前に言っている。気遣って欲しいとか、悟って欲しいとか、付き合ってもいないのにそんなわがままは言わない。
「もう少し、僕を喜ばせてくれてもいいのにな」
 ――何て言えば喜ぶんだよ
 さっきだって、腰を抱く必要はなかったろうし、今だって、こんな風に触れ合う必要なんてない。
 必要がないと思うのだったら拒否したって問題がないのに、何故だかそれが出来なかった。
「……利用するような形になって悪かった」
「謝ってほしいわけじゃない」
 タクシーが家の前にゆっくりと泊まる。
 今、離れてはいけないような気がしたが、七朗は仕方なくドアを開けた。
 家のある棟に向かって歩いていくが、エイリークが後ろを付いてくる気配がない。
 振り返ると、タクシーが止まった場所に立ちつくしていた。
「……なんて顔してんだよ」
 美形が台無しだぞ、とからかうように言ってはみたが、表情までは明るくできなかった。
「君とは住む世界が違うんだって、見せつけられてる訳じゃなくて安心した」
 さっきのイベントの事を言っているのだろう。
 VJのショウタイムでは二人とも閉口気味だったのが良かったようだった。
「ネガティブ思考だな。そんなイジメみたいなこと、俺はしない」
 それに、沢山の友人と盛り上がったフリをしないといけないのも好きじゃない。
 だから、エイリークが居て良かった。
「……そうだね、君は優しいから」
「お前の方が優しいよ」
 六月の夜、風は熱く湿っている。土や植物の匂いに、少しだけ混じる海辺の匂いが不穏だった。

「――僕が優しいのは、君の事が好きだからだ」

 七朗、と、名前を呼ばれる。
 彼の方に向かっていた足が止まり、辺りはしん、とした。
 ――お前は、どうしてその気持ちに自信を持てるんだ
 真っ直ぐに見つめられる。街灯のあかりがエイリークの金髪を夜の住宅街に浮き上がらせて、まるで西洋画の神が降臨しているかのように見えた。
「……エイリーク、」
「受け入れられないなら、僕を家に入れるべきじゃあない。……ライラは、マックよりも僕を安全だと認識してたようだけど、そうとは限らないから」
 何を以て安全ではない、と言いたいのだろうか。大体見当はつくが、そんなことをエイリークが七朗にするとは思えなかった。
「……お前が安全だと思えない行動をとるようだったら、俺はドギーを使える」
「そうだね」
「でも、使う必要がないって、信じてるよ」
「………」
 長い沈黙で、二人ともじわりと汗をかいている。喉はひりついて、嘘がつけるような状態じゃあなかった。
「……家で、話さないか」
「……いいのかい」
「ここで、終わる話じゃねえだろ」
 
 家について、ドアを閉めて。
 その瞬間に、もしかしたらという想像はした。
 だが実際は何もなく、エイリークはいつも通り家にあがって、リビングのソファに座った。
「水、飲むだろ」
「ああ、ありがとう」
 最近はエイリークも家の中のことに大分慣れて、自分から色々動いていたが、流石に今はそんな余裕がないらしい。

 ――告白するときって、どんな気持ちなんだろう

 七朗は、ふとそんな事を考えた。
 今までの人生で、自分から誰かに恋をして、好きだよと伝えたことなどない。
 目の前のエイリークは、長い足を広げて座り、太ももの上に肘をついて手で顔を覆っている。
 言うつもりがなかったことをついつい言ってしまったということだろうか。
 七朗が、告白に何の返事も与えていないから、彼はこんな風に落ち込んだように見えるのか。
 テーブルの上に水の入ったグラスを二つ置いて、七朗はエイリークの向かいに座った。これ位の距離がある方が、多分ちゃんと話せる。
 ――目の前の、こいつは、俺の事が好き
 どうしよう、どうしたらいい。何て言えば、一番、自分の気持ちが伝えられるだろう。
「……俺は、お前の気持ちを、嬉しいと思ってる」
 エイリークが顔を上げる。睫毛が顔に濃い影をつくって、普段とは違う印象を与えた。
 いや、今まで注意深く見ていなかったからかもしれない。
 見る事を、しないようにしていたから。
「七朗」
「お前の気持ちを、拒みたいわけじゃない。けど」
 ゆっくり、フレーズごとに言葉を区切る。そうしないと、心のままに言葉が暴走しそうだった。
 エイリークは、七朗の言葉を待っていた。
「……お前は、子供が欲しいんだろ」
 だったら、自分は条件に合致しない。
「それは」
「子供をつくるために俺が一番適していると思って来たんだとしたら、俺は、それには応えられない」
 ――それをお前は理解してるだろうに
 どうして、自分を好きだと言えるのだろう。
 もしかしたらノルウェーは恋愛と子作りは別物として考えられるのかもしれない。それなら解決できる。七朗と付き合いながら、エイリークは他の誰かの遺伝子と子供をつくる。その子供を一緒に育ててくれと言われたら、どうしようかと思うけれど。
 ――もし、誰か他のノルウェー人の……こいつの昔の恋人みたいな女性と、普通にセックスして産むんだとしたら
 俺のことを好きだという、彼はそういうことができるのだろうか?
 エイリークは、膝上で左の拳を強く握りしめていた。スラックスに皺が寄っている。
 二人とも、グラスに手をつけないままだ。
「……君の事が好きだから、僕は君と子供が作れる存在であるということが嬉しくなった」
 だから、ああいう言い方になった。
 エイリークは、自分の過去の発言を後悔しているように、言葉を絞り出していた。
 ――俺の、どこがそんなに良いんだか
 思わず聞いてみたくなるが、どんな言葉を積まれても、信じられるかどうかは別の話だ。だったら、初めから聞かない方が良い。
「でも、子供は欲しいんだろ」
「君が作りたくないというなら、僕は君の意志を尊重したい」
 その言葉に思わず顔を歪めた。
 好き、ってそういうことなんだろうか。
「お前を、一番幸せな状態にできないのが嫌だ」
 どちらかが我慢を強いられているままの関係なんて、上手くいくものだろうか。
 エイリークは首を横に振った。
「君が幸せであることが僕の幸せであればいいと思うよ」
「無理矢理だ。俺はお前を洗脳したい訳じゃない」
「七朗、そんなに難しい事じゃないよ」

 ――そうだ、本当はめちゃくちゃ単純な話だ

 好きか、好きじゃないか。
 付き合えるか、付き合えないか。

 天啓によってメイティングを指示されたおかげで出逢えたけれど、そうじゃない出逢いだったらどんなに単純だったろうと思う。
「お前の事が好きだから、好きな奴の欲しいものは与えてやりたくなるだろ。――でも、できない」
 それがどれだけ苦しい思いを抱かせるか。
 きっとこの気持ちが、熱病と闘いながら人工子宮を開発したり、同性間の生殖を可能にしたんだろう。それこそ、藁でも宇宙人でもいいから縋りたかったに違いない。
「……七朗」
 気が付いたら、エイリークが真横でソファに片膝を上げていた。ソファの背にかけていた手が離れて、七朗の頬に触れる。
「……」
 冬の海のような目が、こちらを見つめる。
 冷たそうな色をしているのに、やたらと熱を帯びている。
「君が、例えば病気で子供をつくれなくなっていたとしても、僕は君に恋をしてたし、こうして君に会いにきていたよ」
 頬に触れた指先で、優しく七朗の目元をさする。流れてもいない涙を拭うように、ホクロに触れた。
「……優しすぎるだろ」
 手の平の温かさに、つられたように小さく笑う。
「必死なだけだよ」
 目を伏せて自嘲げに言うと、エイリークはもう片方の手も七朗の輪郭に触れた。額と額をくっつけるように顔を寄せてくる。
「だから、もう一回言って欲しい。僕は君が好きだ。出来る限り一緒に居たい。……君は?」
 胸がじんじんする。
 ――これすら、もし、トールに仕組まれた感情であっても
 エイリークを疑うことは、もうできなかった。


「……俺だって、お前が好きだよ。お前が他の誰かと子作りしたいって言われたら、ちょっと嫌だなって思うくら……」
 言葉の途中で、エイリークが唇を奪ってきた。
 ――あ、
 優しく押しつけるだけのキス。
「……ごめん、キスは、良かった?」
 自分の衝動が信じられなかったのか、困ったような顔で謝罪するエイリークが、かわいくみえる。
「謝んなよ」
 エイリークの両手を剥がして、自分から唇に唇を重ねた。
 指と指が絡まって、解けて、背中に手が回る。
 その間に、何回もキスをする。
「っ、もうやめろよ」
 いい加減やりすぎじゃないかと思って、七朗は顔を離した。
「僕が、今までどれだけキスしたかったか解ってもらえた?」
「解った、解ったから」
 このままじゃ唇が腫れる。指先で自分の唇に触れると、感覚が過敏になっていて気持ち悪かった。
「……シャワー浴びてくる」
 落ち着いたら、ルーティンの行動をとりたくなって七朗は立ち上がった。
「え」
「ん? ……なんだよ、一緒に入りたいのか」
「いや、流石に狭いし――」
「なんだ、入んねえの」
「えっ?」
 冗談のつもりで言ったが、エイリークは全て真に受けたようだった。
 今後、ジョークの使い方を考えないとな。
 そう思いながら、七朗はエイリークの余暇の残り日数を数えた。




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