恋を知る鬼知らぬ人
01
――昔から、集合写真を撮るのが嫌だった 撮られるのは良い。 問題は、撮る時だ。 大体、五人が限度。それ以上は撮ってはいけない。 ……写るはずのないものが、写るからだ。 「は? 写真部の奴じゃねえの?」 高校二年の秋。修学旅行でのそれぞれの役割分担を決めようと言う古式ゆかしい学級会を、俺は運悪く風邪で欠席した。 「だから、うちのクラス写真部の子いないの。丹内(たんない)、背高いし周りのことよく見えてそうだから」 「絶対後付けの理由だろ、それ」 「とにかく、決まったから。いいじゃん、どうせ皆自分のデジカメか携帯で撮るんだから」 クラス委員の女子から言い渡されて、言い返すだけ無駄だと悟る。確かに俺の身長は一八六と高いが、それが写真にどう有利なのかさっぱり解らなかった。 「ぶえっくしょい」 ああ、風邪なんて引くんじゃなかった。修学旅行前でよかったけど、と思いながら鼻をかむ。 「丹内、風邪完治してないのに来たのか」 「竹浦……お前なあ、俺が写真係とか、どうして止めてくれなかったんだよ」 教室で隣の席の竹浦真寿美(たけうら ますみ)は、入学した頃からの知り合いだ。出席番号順でも並んでいて、高校でできた一番の友人と言っても良い。女みたいな名前で実際綺麗な顔立ちをしているが、れっきとした男だ。さらりとした黒髪に、涼しげというか冷たい目を眼鏡で誤魔化しているようなタイプで、俺とは真逆と言ってもよかったが、どうしてだかウマが合った。 「欠席してたのお前だけだったからな。大体、何て言って止めれば良かったんだよ。まさか『心霊写真撮るから止めた方が良いと思います』って?」 俺がサイコパス扱いされる、と竹浦は笑った。 「そうだけど。何かもっと他に良い言い訳とかさあ」 「まあ、休んだお前が悪い。それにうちのクラスで、グループ関係なく誰とも仲良いの、お前と委員長くらいだし」 委員長、とはさっき俺に写真係だと教えてくれた女子の事だ。確かに彼女は誰とも仲が良いが、クラスをまとめなければならないので写真どころではないんだろう。 「……お前、俺のアレ、信じてないのかよ」 竹浦には、俺のこの変な特技の話をしていた。集合写真を撮ると何故か腕や足が増えて写ってしまう……なんて、何の役にも立たないが、本人としては立派な悩みだ。 「信じてるよ。ちなみに、対策も考えてある」 竹浦はケロッとした様子で言った。嘘だろ。 「対策?」怪訝さMAXで、一応聞いてみる。 「多分だけどな。俺の一部でもなんでも一緒に写せばいい」 「はあ?」 何で、どうしてと聞いてみたかったが、HRを始める担当教員が教室に入ってきて、俺は仕方なく前を向くことにした。 「俺がいない時は三~四人のグループだけ撮ればいい」 それで大体解決だ。俺と同じように前を向いたまま言って、会話はそれっきり終わってしまった。 そして、実際その通りになった。 五人以上の集合写真の片隅に、竹浦の頭の一部だとか、身体の一部を写すだけで、そこにはちゃんと人数分の手足だけが写真に残された。 デジカメでの俺の能力は、基本的に紙に現像された時にだけ解る。だから、おっかなびっくり写真を撮って、その後カメラ屋で写真を試しにプリントアウトして、やっと俺は竹浦の能力に驚いたのだ。 「俺、守護霊が強いんだ」 だから、もしかしたらと思って。 竹浦はそう言って、いつもの人を食ったような笑みを浮かべた。その笑顔をもらうと、何かを言おうとしても忘れてしまう。 ――だから、その言葉を俺は、信じるしかなかった *** 「晴一(せいいち)おじさんの友達?」 「高校の時のな」 「おじさんの高校って、お母さんと同じとこ?」 「違う。姉さんは女子高だったから」 「そっか……」 あれから十三年後。 俺は、姪の薫を連れて東京の地下鉄を久し振りに乗り継いでいた。高校の頃まではこれが当り前だったのに、数年経験してないだけでちょっとまごついてしまう。 今年十四になる薫を引き取ったのは、つい先月のことだ。 年の離れた姉が、夫婦そろって交通事故で亡くなったのは去年のこと。それから薫は父方の祖父母の所に厄介になっていたのだが、俺が引き取ることになった。 別に暴行を受けていたとか、いじめを受けたと言うことじゃない。ただ、インドネシアでの勤務を終え帰国した俺に、薫が一緒に暮らしたいと言って、俺もOKを出した。それだけのことだ。 「薫、ほんとにこっちの中学で良かったのか」 通学時は結んでいる髪の毛が、土曜日の今日は下ろして肩先で揺れた。 「うん。こっちでイジメがあったらそれはその時で」 「そん時は俺に言えよ」「うん」 薫は、母親が亡くなって数カ月が経ち、徐々に元の様子に戻ってきているようだった。この手のカウンセリングに明るくないが、お互い傷をなめ合うような暮らしにはしたくないと思っている。 車内アナウンスが神保町と駅名を告げ、俺は薫に目配せをして立ち上がった。 ――むしろ、今こいつに必要なカウンセリングは 普通のものじゃあ駄目だ。俺はそう思って、今日ここに薫を連れて来たのだ。 「――よう丹内、よく来たな」 古書店街と呼ばれて久しい神保町エリアの端、古い雑居ビルが立ち並ぶ中でも、一際レトロな丸窓のついた建物の三階。 『葡萄古書店』が、俺達の目的地だった。 「竹浦。お前本当にこんな所で働いてたんだな」 綺麗に整理された……とは言い難いうなぎの寝床のような店内の奥、レジの代わりに大きなデスクトップPCが置かれた書斎机に、昔馴染みの男が座っていた。 「一城の主に向かってその言い方は無いんじゃないか。……ああ、初めまして薫さん」 ここのオーナーの竹浦真寿美です。そう言って竹浦は薫に名刺を渡した。その笑顔が相変わらずであることに、とりあえず安心する。 「……それで、彼女が?」 座れよ、と言われて書斎机の向かいにあるソファに座り、俺は頷いた。 「俺と同じだ。でも、お前の『おまもり』は効かない」 薫は、名刺と竹浦を交互に見て、それから俺の方を見てきた。俺は「大丈夫」と言って、薫の肩を叩く。 姪である彼女が俺のように心霊写真を撮ってしまう人間だと言うことが解ったのは、姉が死んだ後だった。情緒不安定からくる虚言かとも思ったが、印刷した写真を見て信じざるを得なかった。 「効かないのは当り前だ。それはお前用に作ったんだから」 「俺用?」 そんなチューンナップができるのか、と眉根を寄せると、竹浦は当然と言う風に小さく息を吐いた。 俺は、自分のスマホに付けてある年季の入ったミサンガのような短い織物を取り出した。 高校を卒業するときに、竹浦からおまもりとして貰ったものだ。 「物持ちが良くて驚くよ」てっきり捨てたのかと思った、という竹浦に「悪かったな、貧乏性なんだよ」と悪態を吐く。 「いや、光栄光栄。じゃあ、薫さん。君用のものも用意したから、早速だけど集合写真を撮る時はこれを身に付けた状態で撮るといい」 そう言って竹浦が用意したのは、小さな白いポンポンのような毛玉が一つついたストラップだった。 「……かわいい」思わず呟いた薫に、竹浦は満足そうに頷く。 「丹内……晴一『おじさん』と同じデザインだと、君の普段持っているアイテムから浮くだろう?」 気に入ってくれたなら良かった、早速つけてみてくれと言う竹浦に、薫は「ありがとうございます…!」と言って、自分のスマホにとりつけた。 「おじさん、私ちょっと撮って見てきてもいい?」 「おう」断る理由もない。俺は建物の外に出て行く薫を見送った。雑踏を撮っても、集団を撮るのと同じような現象に見舞われていた俺達にとって、スナップ写真みたいなのは夢みたいなもんだ。 「……それも新しくしてやろうか」 俺の古いおまもりを指さして、竹浦が言った。 「いいのか?」「勿論」 善意の塊のような返事をする竹浦に、俺は「ありがとう」と頭を下げた。姪が礼を言って、俺が礼を言わない訳がない。 社会人になり集合写真を撮る機会は無くなってきていたが、薫を引き取ったのなら、また増えてくるだろう。新しくなるにこしたことはない。 「ところで丹内よ」 竹浦が、仰々しい雰囲気で新しいおまもりを手の平に置きながら俺を呼ぶ。書斎机を挟み、俺を見下ろすような姿勢だ。 「それ、俺の髪の毛が織り込まれてるって言っておいたら、お前もっと早く捨ててたか」 「……マジかよ」 手の平に置かれたおまもりをしげしげと見つめるが、細く編まれた黒紐の束に、髪の毛らしきものは見当たらなかった。 「解らないだろ。そう言う作りだからな」 「道理で効くと……」俺は簡単の溜息をこぼした。 「お前……気持ち悪いとか無いのか?」 呆れたように言われて、俺は「どうして」と聞き返す。 「髪の毛だぞ」 「竹浦の一部だろ。ボロくなっても捨てなくて良かった」 「……」 竹浦は、高校の頃一度だけ見たとんでもなく変な顔を見せて、それからすぐにあの笑顔を貼り付けた。 「……じゃあ、新しいものもちゃあんと身に付けてくれよ」 「お、おう……ところで、これの御礼なんだけど」 高校の頃と違って、何でも善意で受け取れるような年じゃあない。自分だけならまだしも、薫の分まで。 「メールでも言ったけど、金ならいい」 薫から相談を受けた時、俺が真っ先に連絡を取ったのが竹浦だ。 勿論、それまで忘れていた訳ではない。連絡をとろうともした。だが、大学では竹浦が京都に行ってしまい、社会人になってからは俺が海外に行ってしまった。 文明の利器インターネットで繋がっては居たが、男同士、そんな頻繁に連絡を取り合うものでもない。 集合写真を撮る度に、思い出すことを繰り返していた。 「金なら……ってことは、何か他にして欲しいことでもあるのか」 俺は、こいつの文法を少しずつ思い出していた。特に、言葉尻を気にしないといけないことを。 「流石、わかってるじゃないか。……薫さんにね」 「おい、あいつを危ない目に遭わせるような真似は」 「解ってる。むしろ、彼女を今より安全にさせるものだ」 ――今より、安全? まるであいつが今、何か問題を持っているかのような物言いだ。 竹浦は、デスクトップを見るように手招きする。 「彼女のホロスコープ、あぁ、生年月日とか教えて貰っただろ? それで作ったパーソナルな星見表みたいなもんだ」 竹浦の背中ごしにモニタを眺めるが、円グラフのようなものに、魔法陣のように訳のわからない数字や記号がぎゅうぎゅうに詰まっていた。こいつに教えたのは薫の生年月日、それに生まれた時間と緯度経度? だけだ。それだけでこんなに精密なものが出来あがるもんなんだろうか。 「これで、何が解るんだよ」 「まあ、色々。未来は変わるから確実ではないけど。……今日会って確信したが、彼女、お前より憑かれ易い」 「……」 俺は、十年以上前のうすら寒くなる記憶を思い出し、頭を横に振った。 ――あれよりもっと酷い事に、薫が? 「お前の姪だ。俺だって出来る限りのことをしてやりたい。それに、お前と会わない間、俺の方だって色々進化してたんだ」 ふふ、と何やら企んだ笑みを浮かべ立ち上がる竹浦に、ぶつからないように一歩後ろに引――こうとしたが、俺の腕を竹浦がぐいと掴んで引き寄せた。 鼻と鼻がくっつきそうな程に近い。近づいてみて初めて、竹浦の肌が高校生の時よりも大人の物になっていることに気が付いた。 「……丹内が、俺を頼ってくれて嬉しいよ」 眼鏡越しの睫毛が、瞬きで震えている。いい年をした大人の男を、綺麗だと思ってしまうのは昔の影響がある所為だと思いたかった。 「……お前、守護霊が強いって言ってたけど」 俺は、竹浦の顔に引き寄せられないように話題を変える。 進化した、と言ったのが気になった。守護霊まで進化するものなのか? 「あぁ……俺はもっと強い。それで納得するか?」 竹浦は手を離した。元気よく階段を上ってくる音がして、薫が戻ってくる。 手にはカメラ屋の袋が下がっていて、この短時間で写真の現像までしてきたのかとぎょっとした。 「おじさん、写ってなかった!」 こんなにハリがある声も、嬉しそうな顔も初めて見た。 「マジか、良かったな」 「ああ、良かった。あと薫さん、アプリを一つ入れてもらいたくてね――」 「アプリ?」 すっかり竹浦の事を信用したらしい薫が、何の疑いもなくスマホを手にする。 薫に説明しながら、竹浦がこちらを見上げてニッコリと笑う。その邪気のない笑顔が一番タチが悪いことも思い出して、俺は真っ先にこいつを頼った事が良かったのかどうか、ちょっと後悔し始めた。 |